2005-01-01から1年間の記事一覧

キリング・フィールド

頭蓋骨を納めた納骨堂に、まず目を奪われる。納骨堂の後方には、クメール・ルージュが虐殺し遺体を埋めたという穴が広がっていた。掘り返された穴の案内板には「首を刎ねられ首のない犠牲者166体」「裸の子どもと女性の犠牲者100体」などの表示がある。掘り…

一ノ瀬泰造の「墓」と称せられるもの

アンコールワットをめざし、戦場を駆け抜けたTaizo。あまりにアンコールワットから離れた場所に、その「墓」と称せられるものがあったので、アンコールワットを見ずして亡くなったのではないかという思いを改めて強くした。 また、墓石に記された「一ノ瀬泰…

天空の城ラピュタ:タ・プローム

巨大に生長した榕樹(琉球名:ガジュマル)に押し潰されるのではないかと心配してしまう寺院が、タ・プロームである。熱帯地域において、樹木の生長をコントロールしないと、どのようなことになるのかということを考えさせられた。樹木のもつ「生きる力」を…

Taizoが夢見たアンコールワット

カメラマンの一ノ瀬泰造は、アンコールワットを見ることなく亡くなったのだろうか? カンボジアへ来る前に、Taizoの「地雷を踏んだらサヨウナラ」を読んで来ただけに、アンコールワットを眼前にした時、改めてTaizoはアンコールワットを見ることができたの…

アンコールワット

テップ・クナル氏へのインタビュー

テップ・クナル氏は、ポル・ポト派(クメール・ルージュ)が、1982年に反ベトナム・反プノンペン傀儡政権を掲げて結成された「民主カンボジア三派連合」(ポル・ポト派+ソン・サン派+シハヌーク派)時代に、ニューヨークで国連大使を務めた方です。1991年…

植林

いよいよ「植林」。そもそも、私がイメージしていた「植林」というのは、はげ山の斜面に苗木を植えるものであったのだが、今回私たちが担当することになった場所は、その山に向かう道の両サイドに苗木を植えるものであった。「植林」ならぬ「植樹」であった…

カンボジアでの植林

地雷原訪問

バンティアイ・ミアンチェイ州マライ郡オーソンポー地区の地雷原M4633地域(18ha以上)を訪ねた。地雷除去に当たっているCMAC(Cambodian Mine action Centre)の方の話によると、1985年以降に埋められたもので、埋めたのは地域の支配権を維持しようとし…

国境の街:ポイペト

タイとの国境の街:ポイペトは、かつて地雷の濃密埋設地帯であったという。除去後には、大きなカジノが建設されている。タイ資本による開発のため、カンボジア領土にありながら、通貨はタイ・バーツしか使用できないという。街は非常に荒んでいて、入国早々…

昨日は『文藝春秋』6月号を読んで一日を過ごした。月刊『文藝春秋』は、亡くなった父がよく読んでいた雑誌である。休日によく寝転がって読んでいた。私が『文藝春秋』を直接購入するのは初めてかもしれない。新聞広告の「三島自決からあさま山荘事件まで 証…

本日夕刻より、オーストラリア大使館において「オーストラリア体験セット」利用者100万人突破記念レセプションが開催された。この「セット」は豪日交流基金(AJF)が、日本の児童生徒の国際理解を深めるために開発したものである。「セット」には、数多く…

33年前の今日、1972年5月15日、沖縄が日本に帰ってきた。当時、私は中学校の3年生でだった。当日、学校はお祝いで半ドン(午前授業)であった。曇天で小雨のぱらつく月曜日であったと記憶している。午後私は『南沙織』さんのファンである友達とNTVの「紅白歌…

先月来、中国では反日デモが続いていたので、「五・四運動(1919年)」の今日、大きな暴動がなければと案じていた。これまでのニュースを見る限り、中国政府の強力な働きかけにより、大きな事件は報告されていないようである。「根っ子」のところが改善され…

戦後60年。憲法施行58年が経過した。巷間「憲法改正」論議が盛んである。学生時代に論文をよく読んだ樋口陽一氏が、今朝の朝日新聞でも語っているが、私も樋口氏と同感である。 「なぜ、私が社会科教師となったか・・・?」 それは、1927年に生まれ「戦…

ゴールデンウィークで一息ついている。しばらくご無沙汰していた人々にも久しぶりにMailを送信した。現在カンボジアで「地雷ベルトをグリーンベルトに」の活動を精力的に行っているOさんから熱いメッセージをいただいた。「学校頑張ってください。大きな声…