キリング・フィールド

 頭蓋骨を納めた納骨堂に、まず目を奪われる。納骨堂の後方には、クメール・ルージュが虐殺し遺体を埋めたという穴が広がっていた。掘り返された穴の案内板には「首を刎ねられ首のない犠牲者166体」「裸の子どもと女性の犠牲者100体」などの表示がある。掘り出さ
れた遺体の総数は8,985体にのぼったという。
 私は死者に対する尊厳のようなものの喪失を強く感じた。このことを一番強く感じたのは、今も地表の各所に人骨が散見されたことである。気づかずに私は半分埋まっていた人骨を踏んでしまった。なぜなら、見学通路に放置されていたからである。          この時、カンボジアの人々の死生観と私の死生観は大きく異なることを感じた。というのは、私たち日本人の感性であったならば、犠牲となった人々の骨は徹底して拾い集め供養するのではないだろうか。少なくとも見学通路に骨を放置するようなことはないのではないか。骸骨のみをあたかも展示するかのような納骨堂自体建設しないのではないか。これは私の偏見であろうか。