憲法「私」論 水島朝穂

 『みんなで 考える前に ひとりひとりが 考えよう』 というサブタイトルに惹かれた。私は社会科の教師として教壇に立っているが、子どもたちに伝えたいことの一つは、他者の意見に流されることなく、自分の意見・考えを持つということだ。まず、ひとりひとりが、しっかりと考えることが大切だ。
 私自身、子どもたちに憲法を語る前に、憲法記念日に今一度、日本国憲法について真摯に考えてみようと思い本書を手にした。著者への聞き書きに基づくものであるということから平易で読みやすい。
 以下に何点か記録に留めておく。


○ゲアハルト・シュレーダー首相(当時)は、それぞれの大事な記念日[60周年]にワルシャワやノルマンディーに行って謝っているのに対し、日本の小泉首相靖国神社に行ってしまう。 
○「個人の尊重」の徹底した国家、すなわち、一人の人間の生命もかけがえのないものとして尊重する国家では、戦争は成り立たない。
○「何人死んだ」という視点ではなく「誰と誰が死んだ」という視点で見ることの大切さ
沖縄戦にみられるように日本国から事あるごとに見捨てられてきた沖縄が「本土復帰」することは、沖縄県日本国政府に帰属することではなく、沖縄の人たちが日本国憲法の理念に加わることだ。
日本国憲法が制定され、日本は「法治国家」として再出発したのにもかかわらず、沖縄を「放置」しつづけてきました。その意味で、日本政府は沖縄に対して「放置国家」であり続けた。
○国家という実体のないものを守るために国民・市民・個人を見捨てる、切り捨てる、捨て石にする。それが平気でできる。沖縄戦がその最たる例です。
○「いかに戦争に勝つか」という「軍事的合理性」ではなく、「いかに戦争をなくすか」「いかに戦争によらず平和を創るか」という「平和的合理性」によって対処するということが9条2項の本質である。
憲法9条2項があるから軍隊とはいえない。同18条の「意に反する苦役からの自由」があるから徴兵制はやれない。同76条2項によって「特別裁判所」を置くことができません。軍事裁判所が置けないので軍法会議ができません。この3つの条文があるかぎり、軍隊をつくることはできない。

憲法「私」論―みんなで考える前にひとりひとりが考えよう

憲法「私」論―みんなで考える前にひとりひとりが考えよう