鴻上尚史『ヘルメットをかぶった君に会いたい』の中に「あさま山荘事件」に触れている箇所がある。それは立松和平原作・高橋伴明監督、映画『光の雨』(2001年)のナレーションである。


 革命したかった。生きるすべての人が幸せになる世の中をつくりたかった。各人の持っている能力は100%発揮でき、富みの配分はあくまで公平で、職業の違いはあっても上下関係はない。人と人との間に争いはないから、戦争など存在しえない。
 そんな社会をつくるための歴史的な第1歩として、人々を抑圧する社会体制を打ち破る革命をしなければならない。そのために僕等は生きていた。
 1960年、その最初の闘いの時、僕等はまだ中学生だった。日米安保条約に反対する人々のエネルギーは、既成政党のコントロールを越え、大きな力となって国会を包囲した。国会議事堂の周りに人間の壁が幾重にもできた。まさしく日本の歴史が変わろうとする瞬間だった。
 しかし、国会は、警官隊という暴力装置に守られていた。その闘いの最中に、一人の女子大生が殺された。
 武器を持たない大衆の異議申し立ては、あっけなく踏み潰され、闘争は停滞した。理想の社会をつくるため、長い長い試行錯誤が始まった。いくつもの指導部ができ、分裂し、統合していった。
 僕等はそんな時代に大学生になった。時の政府は、僕等の国をベトナム戦争の参戦国とし、日本中のアメリカ軍基地ベトナム戦争の最前線となった。
 日本で戦うことはベトナム人民と連帯することだ。多くの人々が、平和を守る闘いに参加し、僕等はその先頭に立った。しかし、僕等の抗議のデモは、警官隊の厚いジュラルミンの盾に押し潰されていた。僕等は、その壁を破るためにヘルメットをかぶり、角材と石を握った。それは武装することの始まりだった。
 僕等は自分たちの矛盾や不条理にも闘いを挑んでいった。学費値上げ反対闘争、学内自治権の獲得、その闘いは社会の中での大学とは何か、学生とは何かを問うこととなり『大学解体』というスローガンが出てきた。セクトを越えた連帯『全共闘』の誕生だ。
 僕等のささやかな武装は、敵のさらなる武装化を招き、僕等の闘争を潰すために、あらゆる法と罪状が適用された。いつしか世論は僕等を暴力学生と呼び始めた。無力感や敗北感が漂い始めた。すべて党派が飛躍を問われ、過激な方針を打ち出した。
 この学生運動華やかなりし頃から遅れること10年して、私は大学生となった。
私が学生運動に対して持っている複雑な感情を、学生運動を知らない人に理解してもらうことは不可能だと思っている。
 DVDで『光の雨』を見た。ただただ苦しかった。2度と見ることはないと思う。前述のナレーションを語ったと想像される坂口死刑囚は今、どこの刑務所に収監されているのだろうか・・・。
光の雨 特別版 [DVD]

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