鴻上尚史『ヘルメットをかぶった君に会いたい』

 憲法の本を探しにジュンク堂を訪ねたところ、書名と「1969年4月―ヘルメットをかぶっていた君は、いま、どこに?」という帯が目に飛び込んできた。読まずにいられない衝動に駆られた。
 鴻上は言う「僕達の世代は“遅れてきた世代”とか“シラケ世代”とか言われた。高校や大学から、学生運動がほとんどなくなった世代だ。だからこそ、僕は猛烈に憧れた。たぶん、当事者よりも周辺にいた人間、遅れてきた人間の方が、思い入れは強いのだ。」と。
 鴻上と私は一つ違い。今やセピア色と化した青春時代が思い出された。特に「成田空港闘争」の記述に胸が熱くなった。1977年、反対派支援学生の東山さんが機動隊の催涙弾水平撃ちに遭い死亡した。いや殺害された。私は高校時代の友人と共に抗議デモに参加した。いつになく激しいデモであったことを記憶している。友人はこの時の思いを胸に今現在も成田空港を利用していない。医師として国際学会等に出張する際にも、敢えて伊丹に、現在は関空や中部を経由して飛んでいる。彼のコダワリに敬服する。彼は今もライブハウスでストーンズを熱唱している。コダワリを捨てた軟弱な私は成田を使わずに海外へ行ったのは、たったの1度だけだ。(ホーチミンへの直行便が関空からしかなかったた時だけ)。
 コダワリを捨てた私は本書で「成田空港管制塔占拠事件」のその後日談を知り驚いた。


 管制塔に突入した人たちは、どうなったかというと―。
それぞれに、6年から12年の刑を受けた。あれから、27年たっているので、全員が出獄している。(自死を選んだ人もいる) そして、国と空港公団は、彼らに、約4500万円の賠償請求を1981年3月に起こした。その判決は、1995年に最高裁で確定、その年12月に納付請求されたが、それ以降、取り立て行為は一切されていなかった。被告たちも、91年の謝罪の後なので、請求はないだろうと考えた。しかし、2005年3月、賠償請求が時効となる4ヶ月前、原告の国・空港会社は突然、損害賠償請求の強制執行を開始した。損害賠償額は、法定利息を含めて、総額1億300万円になっていた。毎年、自動的に200万円以上の利息が加算されるのだ。定収入のある10人に対しては、毎月給料の4分の1を強制的に差し押さえ、定収がない6人に対しても支払いの督促を行っているという。こうして、「1978年3月26日」が「2005年」に誰にも予期しなかった形で再浮上したのだ。
 最後に本書に対して苦言を一言。最終章:14章は書かれないほうが良かったのではないだろうか。最後に興醒めしてしまった。残念!
ヘルメットをかぶった君に会いたい

ヘルメットをかぶった君に会いたい