トゥール・スレン博物館

 ポル・ポト政権下、血の粛清の舞台となった当時「S21(Security Office 21)」と呼ばれたトゥ―ル・スレン刑務所。奥田さんは無念のうちに惨殺された人々の霊気が漂っているような気がするので遠慮させていただきたいと入口に残られた。
 もと高校の校舎であったというトゥ―ル・スレン刑務所の拷問室には、鉄のベッドと簡易トイレとして使われた鉄箱があるだけであった。次の棟には犠牲となった人々の顔写真が一面に張られていた。その次の棟には、レンガを積み上げ仕切っただけの狭い独房があった。
 私がここで感じたことは、この博物館を通じて、何を伝えようとしたかったのだろうかということであった。クメール・ルージュの残虐性を伝えたかったのだろうか。この施設から私たちが学びとらなければならないこととは何であったのだろうか。私は同じ人間として、私の中にもこのような残虐性が潜んでいるのかと自分自身がとても恐ろしくなった。