鎌田慧『日本の原発危険地帯』

 紀伊国屋書店鎌田慧の名を見つけ、『日本の原発危険地帯』を手にとった。私にとって鎌田慧といえば『自動車絶望工場』が鮮烈なイメージとしてある。「派遣」というコトバが一般化していない時代のベルトコンベアーを前にした「疎外された労働」を描いた季節工のルポであった。『日本の原発危険地帯』の初出は1982年であるから約30年前に刊行されたものである。古い資料ではあるのだが、原発建設当時のカネでゴリ押ししていく姿を読み取ることができる好著である。それにしても福島第一原発は、建設当初から「被曝者」を産む問題原子炉であったようだ。もっと早くに私たちが声をあげ運転停止に追い詰めることができていれば…


○美浜第一号機の建設は「万博に原子力の灯を」を合言葉に突貫工事ですすめられた。
○既成事実の積み上げとあきらめの拡大である。一基つくられてしまえば、あとの危険性はおなじようなものだ、
○この小さな湾に取水口がつくられ、1日30トンの水が原発に吸いあげれるようになって潮流が変化したばかりでなく、プランクトンまで吸い込まれ、ナマコ、カキ、それに彼自身「日本一」と自慢した真珠貝まで絶滅してしまったことを嘆いたのだった。
○「高速増殖原型炉計画の概要」には、「仮に事故が起こったとしてもその事故による影響を最小限にくい止め、一般公衆には被害を及ぼさないことを… 基本的な方針として設計を行っております」と記されている。
福島県の相双地域(浜通り地帯)は、太平洋と阿武隈山系に挟まれた幅のない平地で、水資源に恵まれず、海岸線は50メートル程の絶壁となっており、戦後の過疎化の進行が激しく「福島のチベット」とも言われたところであります。
○浪江・双葉・大野・富岡、これらの駅は上野への通過駅でしかない。それは、ここでつくりだされた電力が、そのまま東京へ直送されるのと、どこか似ているようだ。
○第一原発の敷地面積約350万?のうち、3割弱は堤康次郎の所有地だった。それが用地買収を簡単なものにしたのだった。原発予定地の海岸側は民有地、内側は堤の所有地となっていたのだが、かつてこのあたりは、熊谷飛行隊の「磐城飛行場」だった。
○71年9月から79年2月までで、ガン、リンパ腺腫瘍、心臓マヒなどで死亡した原発内労働者は29名に達し、その後も被曝労働者の死亡は増えているとのことである。ただ、農村部であるため、原発下請労働者が被曝の疑いによるガンや白血病で死亡しても、遺族たちは風評をおもんばかって隠す傾向にある。…彼らは被曝手帳さえ渡されていなかった。小頭症で死産した嬰児が二人いた、…
○78年に納入された大熊町の町税は19億2千万円である。このうちm東電からの法人税、町民税、固定資産税、電気税など、いわゆる「原発関係税」は、17億円に達している。町税収入に88.5%が原発によって支えられている。
○この1号炉は71年に稼働してから平均稼働率は30%でしかなく、双葉地方原発反対同盟によれば、「被爆者製造炉」ということになる。
○独占体としての電力会社が、コストアップ分を電力料金に上乗せしてこれまでの膨大な建設資金を捻出してきた
○「ゴミを捨てないで下さい。自然環境を守りましょう 日本原燃サービス」 核のゴミを捨てる会社が、小さなゴミを禁止する。放射能をまき散らす会社が自然環境について説教する。… 一人を殺すと殺人罪、百人殺すと英雄になる、とか。
原発は心配といえば心配である。しかし、地元にはかくかくしかじかの利益があります。… 危険と利益をハカリにかけると利益のほうが重い、ということなのだが、その利益からは人命と子孫の健康の必要経費はひかれていないのである。… 「カネは一代、放射能は末代」である。

日本の原発危険地帯

日本の原発危険地帯