親不孝 忘れていた『父の命日』 

 今日は妻が「食事会」ということで夕食がない、息子二人と共に実家の母を訪ね「すき焼き」をご馳走になることとなった。
 子どもたちは元気よく「ばあちゃん、遅くなっちゃった御免、すき焼き出来てる…?」 すると、母は「ありがとうね。おじいちゃんの命日を覚えていて、それで今日来てくれたんでしょ。いっぱいお肉買っておいたからね。しっかり食べなさい。」
 「しまった! そうか今日は父の命日だったんだ! 忘れていた!」 私は母に正直に言った。「線香あげて詫びるよ」 そうだ3月16日は父の命日であった。 54歳で脳梗塞に倒れ全身に麻痺が残り、つらい晩年を過ごした。最晩年は寝たきり状態で2年強過ごした。母が介護で先立つのではないかと心配したものだ。
 大腸ガンが発見された時、母と弟と3人、手術をするかどうか迷った。私たちは体力のない中での手術を拒否した。あの判断は正しかったのだろうか…? その後、数ヶ月してガンは肺に転移した。最後の1ヶ月は呼吸困難な状態が続き、本当に苦しそうだった。見ていられなかった。亡くなる10日ほど前には、あまりに苦しそうなので「父さん、もう十分に頑張ったよ。」と声をかけた。すると、目を剥いて怒った顔が忘れられない。それから2・3日、私の食事の介助を拒否した。頑固な父であった。
 しかし、酸素マスクの下の唇が裂け、激しい息遣いをして苦しむ父を見ることは辛かった。酸素吸入器の電源スイッチを切れば父はラクになれる。何度、スイッチに目が行ったことだろう。ここで、スイッチに手を伸ばさないことは、自分が罪を負いたくないがための卑怯な不作為ではないかとさえ考えたものだ。
 あれから丸7年、時間の経過は実に早いものだ。それにしても、父の命日を忘れていたとは…。母もショックであったろう。孫二人が「ばあちゃんのすき焼きは最高だよ!」とモリモリと食べていたことが救いであった。