日本紙業⇒Ario亀有

 「イトーヨーカ堂とArioとはどう違うの…?」と聞いたことが全ての始まりであった。「じゃあ行ってみよう!Ario亀有へ!」ということになってしまった。冷たい雨が降る中を車で出かけた。こんなにも大きなショッピングセンターが葛飾:亀有にできているとはびっくりした。
 私は小・中学校時代を亀有で過ごした。今から34年前、友人のEくんとTくんと3人で中学校の卒業記念に能登一周旅行を計画した。親に迷惑をかけず、自分たちの力だけで行きたいということで、Eくんのお父さんの力を借り、生まれて初めてのアルバイトをすることとなった。そのアルバイト先が、現Ario亀有にあった日本紙業であった。1973年3月、中学を卒業したばかりのバイトの時給は180円であった。隔世の感のある金額ではあるが、能登3泊4日の旅行代金も2万円強であったと記憶している。アルバイトに旅行にと春休みを遊んで過ごしたがために、高校の宿題を終えることができず、入学早々からつまずいた。学習面における暗黒の高校生活の始まりであった。