『不勉強が身にしみる』 長山靖生

不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か (光文社新書)

不勉強が身にしみる 学力・思考力・社会力とは何か (光文社新書)

 これもまた光文社新書である。読み終えて、とっても満足した1冊である。特に私が気に入った文章を3カ所紹介しよう。特に3つ目の文章が胸に刺さった。「信じる」というコトバは大変美しいコトバである。しかし・・・「信じる」というコトバの本質は・・・

●バブル期に経済的余裕を背景にして拡がった「本当の自分探し」というモラトリアムが、入試や就職試験という他者からの評価に曝されない、自分の想像の世界のなかで、いまだに生きているという気がする。この場合、「実力」は外的評価を拒否した空想上の産物にすぎず、自尊心を守るための言い訳の役目しかしていない。
●そもそも史観というものは、皇国史観であれ唯物史観であれ、思想であって歴史ではないのだ。その点では、もし学校で近代日本の歴史をネガティブに評価した史観(藤岡氏言うところの「自虐史観」)が教えられているのだとしたら、やはりそれはそれで問題だ。だいたい数十年しか植民地経営しか行わず、しかも経営的には明らかに失敗した日本のような小国が、世界史上の諸悪の根元であるかのように思い込む思考は、神国日本を強調した戦時下教育と同レベルの自意識過剰な思い上がりというものだ。
●信じるというのは、善良な行為ではなく、思考の停止である。考えるのをやめにして、あとは他人の意見に身を委ねる。それが「信じる」ということだ。そしてしばしば、安易に信ずる者は、被害者になるばかりでなく、加害者にもなってしまう。