浜之郷小学校:大瀬校長の『輝け!いのちの授業』を読んで以来、気にかかっていた天明3年の浅間山大噴火に関して、今日一日、ホームページや前掲書を読んで過ごした。松田智雄先生がいみじくも語られた次の言葉が心に残る。


鎌原村は「東洋のポンペイ」「日本のポンペイ」ともいわれていますが、ポンペイでは生き残った住民は四散、都市自体も歴史の中で忘れられてしまうのです。しかし、鎌原の場合は、元の村があった位置に天明大飢饉のさなか、大変な困難をおかしながら復興している。こうした社会構造の違いは何か
ここにこそ江戸時代の日本人の土地に対する考え方を見たような気がする。また、人々の最小生活単位が「家」であったことから、家族再編にも肯定的に応じたのではないかと考える。
→しかし少し冷静に考えてみると、現在の子どもたちは「家」には所属しているけれども、鎌原の家族再編された「家」よりも冷え冷えとした家庭環境の中で生活しているように感じる。同居しているだけでは「家」ではない。今一度人間が社会生活を送る最小単位が「家」=「家族」であることを共に考えたい。ただし、ここで論じた「家」はもちろん、旧民法の「家」制度を指すものではないことを強調しておく。
→いよいよ8月6日(金)家族で鎌原観音堂を訪ねる。埋没石段にたたずみ、家族と共に「家族」について考えを巡らせたい。
嬬恋・日本のポンペイ 最新増補版