● 帰りの千代田線車内で前任校のダンディー教頭先生に出会った。昨春、私が退職を申し出た時、親身になって心配してくださったのも他ならぬダンディー先生である。5年前「荒れた」学校を何とか建て直さなければと共に悪戦苦闘した「戦友」とも言うべき先生である。3年前からは区教委の「授業時数の確保」「学力向上」の呼びかけに対応すべく共に空しい事務作業をこなしたものだ。そのダンディー先生から「元気そうだね!新しい職場にも慣れたみたいだね! ブログ時々見てるよ。最近、更新されてないようだけれど…」と声をかけられた。うれしかった。つまらないブログだけれど、私の近況報告ができているなと感じた。
 *「ダンディー」のニックネームは、当時の生徒がつけたもの。私も「べジータ」や「M」より「ダンディー」のようにカッコいいニックネームをつけられたいものだ。
 ● 帰宅すると、私にとって最初の卒業生(1984年3月卒業)であるUさんから手紙が届いていた。なんと、中には当時の学級通信『ガンバロンニュース』第132号も同封されていた。そこには紛れもなく1984年3月19日の私がいた。今となっては恥ずかしくなるような文章が羅列してある。


 卒業おめでとう。いよいよ卒業式当日がやってきた。今、3月19日午前1時35分。ほんの少し前に、ぼくの第一回・卒業生である3年C組、全生徒への手紙を書き終えたところである。便箋たった一枚の手紙ではあるけれども、ぼくの最後のメッセージである。読んでもらいたい。誠心誠意、一人ひとりに書いたつもりである。
 ハッキリ言って、君たちを手放したくはない。君たちは、僕の宝物なのである。その宝物を「卒業おめでとう」の一言で、卒業式が、ぼくから奪っていく。何ということだ。
 他人から見たならば、ぼくは異常なのかもしれない。あたかも卒業によって、君たちを巣立たせることを、失恋と同意義に感じている。だから、ぼくの大好きな井上陽水の『心もよう』なんかを左で紹介したのだ。そして、出だしの“さみしさのつれづれに 手紙をしたためています あなたに 黒いインクがきれいでしょう 青い便箋がかなしいでしょう” というところに感化されて、青い便箋に黒いインクで書いた。
 卒業式前日に、一日がかりでやった事が手紙書き。もっと有意義な過ごし方もあったのかもしれないけれど、ぼくには、こんなことしかできなかった。・・・
 <以下略>
 諺に『初心忘れるべからず』というのがあるけれど、今日、Uさんのお蔭で22年前の自分に再会することができた。あの頃の教育に傾ける情熱の一端を感じることができた。感謝したい。
 Uさんからも「先生のブログ読みました。先生とっても元気そうで変わってないですね。いい意味ですよ」という温かい言葉をいただいた。時間を見つけては、ブログを更新していきたいと思う。